朝礼ネタ 箱根駅伝 原晋監督の指導法

2017/01/23

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箱根駅伝 原晋監督の指導法

箱根駅伝

毎年、一月二日と三日に行われている箱根駅伝。
お正月の風物詩となっていて、楽しみにされている方も多いと思います。

若い学生たちが、たすきを途切れさすまいと必死に走る姿は、
時に大きな感動も呼びます。

そんな箱根駅伝の概要や歴史とは、どんなものなのでしょうか?

箱根駅伝の概要

関東学連加盟大学のうち、前年大会でシード権を獲得した10校と、
予選会を通過した10校、および関東学生連合を加えた合計21チームが
出場します。

東京・読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間( 107.5Km )、
復路5区間( 109.6Km )の合計10区間( 217.1Km )で競います。


箱根駅伝の歴史

創設の原動力になったのは、
マラソンの父として知られる金栗四三 ( かなぐりしそう )らの
「 世界に通用するランナーを育成したい 」 という思いから。

金栗は、1912年( 明治45年 )のストックホルム五輪に、
マラソン代表として出場しましたが、途中棄権に終わります。

そうした中で、1917年( 大正6年 )に日本で初めての駅伝となる
「 東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走 」 が、
京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われます。

京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ
壮大なたすきリレーで、東西対抗で行われたこのレースは大成功を収め、
これが箱根駅伝の原型となります。

「 東海道駅伝 」 の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、
専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、

早大・慶大・明大・東京高師( 現筑波大 ) の四校が応じ、
「 四大校駅伝競走 」として、
1920年( 大正9年 )に第1回大会が行われたのでした。

箱根駅伝の優勝校

1920 - 2017 全93回で、最多優勝校は、中央大学の14回。

過去5年の優勝校は

2013年 第89回 日本体育大学 ( 通算優勝回数10 ) 
2014年 第90回 東洋大学 ( 4 ) 
2015年 第91回 青山学院大学 ( 1 ) 
2016年 第92回 青山学院大学 ( 2 ) 
2017年 第93回 青山学院大学 ( 3 ) 

ここから朝礼ネタ

テレビでご覧になった方もいると思いますが、お正月に行われた箱根駅伝で、
青山学院大学が三連覇を達成しました。

もともと、さほど強いチームでなかった青山学院を、
これほどまでに強くしたのは、
元中国電力のビジネスマンだった原晋監督の指導によるものと言われています。

そんな原監督の指導の一つに、
「 報告ではなく相談をさせる 」 というものがあります。

例えば、怪我をした選手が、「 怪我をしました 」 と言ってくるのは、
「 報告 」 です。

青山学院の選手は自分で考え、

「 こういう練習をしながら怪我の回復を待とうと思いますが、
監督はどう思われますか?」 という 「 相談 」 をしてくるそうです。

そうした、選手自身が考えて行動できることが、
今の青山学院の強さだということでした。

仕事におきましても、一人一人が考えて行動し、目標をもって努力することが、
強い会社を作ることにつながります。

私自身も、指示待ちになることなく、自分で考えて行動していけるように、
がんばっていきたいと思います。

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